写真と紀行のギャラリー

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中国

シャクナゲ 黄山

黄山のふもとにはいくつもの村があり、昔はかなり裕福な地域で、教育熱心な土地柄でした。確認はできませんでしたが、王朝の宰相を出した家もあったようです。このあたり、安徽省黟県(い-けん)の村々は私の重要な撮影対象です。

黄山

ここでは幅50センチメートルほどの欄干のない橋の中央に立って撮影しました。下は地上まで数百メートルあり、よく写真が撮れたと思う。

屯渓老街の夜

日が暮れ、明かりがともりだすころになると、たくさんの人が徽派という建築様式の通りに繰り出し、そぞろ歩いていました。チベット地方のめずらしい形をした提灯が飾られたお店や茶館、お土産物店などとてもにぎわっていました。伝統的な書道の道具である文房四宝(筆、硯、紙、墨)と呼ばれる品々もこの地方の名産なのだそう。

四つ角の茶館

黟県は古くからお茶の生産地としても名高く、屯渓老街にはお茶屋さんがよく目につきます。明や清の時代から続く建物の屋根には、特徴的な白い階段状の切妻壁、日本でいうところの「うだつ」を見ることができます。

夜歩きする人々

夜になると観光客たちが、街歩きを楽しんでいます。

石灯籠

安徽省黄山市唐模村の石灯籠。石灯籠は風水の思想にのっとり、背後の水路(檀干渓)を龍に見立て、縁起が良いとされる場所に置かれている。

橋をわたる犬

安徽省唐模村の水路、檀干渓に架かる橋をわたる犬。唐模村という名の由来は、唐時代の建築様式を模した村だからとか、唐王朝の模範となる村だから、などといわれています。この村の中国風情がたっぷりで瀟洒(しょうしゃ)なホテルは、フランス人が経営しています。

陽和門

徽城は安徽省黄山市歙県に位置する商業で栄えた中心都市で、徽州府衛という役所が置かれた場所。東門である陽和門は、正門である南門が風水によくないという理由で南宋の時代、西暦1150年、新たに作られました。現在、元の門も修復され、再び使用されています。

徽園

安徽省黄山市徽州古城仁和楼の上から、徽園の内側を撮影した一枚。

昼飯の写真

安徽省黄山市歙県漁梁古鎮の中にある食堂の昼ごはんです。注文したのは、野菜の卵とじとご飯でした。

桃源郷

安徽省呈坎(ていかん)村の人工的に作られた湖と庭園。中国で最も八卦風水理論に忠実な村なのだそう。村内を見てまわると、先祖を祀る祠堂があちこちたくさんあるのに気がつく。儒教の教えや宗族の絆が非常に強いことがよくうかがえる。

未知の遺跡

河北省張家口市郊外の丘陵地にあった謎の遺跡。この謎の遺跡までとても行くことができなかった。簡単に歩けそうに見えるが、歩きにくいことこの上なく、四つん這いになっても進めない。そんな地面は初めてだった。土地の人は何かコツがあるのか、歩いていました。初めての私には無理だった。難攻不落の天然の要害とはこのことだと思った。

拙政園の小道

早朝の拙政園内の小道。左側の建物は郵便局。開園と同時に入場したのに、もう人がいっぱいで、さすがに中国は人で溢れかえっている。

蘇州市盤門景区

盤門景区の庭園にある舞台で演舞の稽古をする人々。早朝にもかかわらず、大勢の人が何かしらの作業や活動をしている。

中国のオペラ

蘇州市の世界遺産である庭園、耦園(ぐうえん)。山水間(という名の建物)で演じられている劇。春秋時代の夫婦の物語が歌と音楽で演じられている。現在でもこの催しが続けられているかどうかは、分かりません。古い中国語では、「耦」は二人で畑を耕すという意味があるそうです。夫婦二人そろって穏やかに暮らすという名を持った庭園。

恵山古鎮の門

ここは、清の時代、祖先を祀る祠堂がたくさん集められた場所、別の言葉に言い換えるとすれば、死者が集まる街で、それを今、観光地化している。カフェなんかオシャレだったりするのですが、もとは祠(ほこら)を改築したものです。

意式風情区の噴水

天津意式風情区とはイタリア租界だった地区を改称したもので、Italian Style Streetと観光ガイドブックなどでは表記されています。イタリアは1902年、義和団事変を契機に治外法権地域を現在の天津市内に獲得しました。街並みはまるでレトロなヨーロッパそのものです。日本は1898年8月、租界を天津市内に設置しました。天津の租界は、第2次世界大戦後の1947年までに全て消滅しています。

北京の猫

北京市内の通りで見かけた上品な猫。

前門大街

北京市内の電車道です。正面に見える門は正陽門とよばれています

外灘夜景

黄浦江東岸の上海市浦東地区より外灘方面を撮ってみました。

村瀬俊彦
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